2009年09月12日
薬と医師(その2)
この「薬」の副作用による弊害については、
先月に名古屋の知人からも報告があった。
お昼寝中の「ミー」ちゃん
「足」のことは気にしていません。
知人も名古屋で、母親の介護に携わっているが、
身体が硬直しだしたので、認知症専門医で見てもらったところ、
「薬」の摂取量と、副作用に問題があった、とのこと。
やっとかめだがニャー(おひさしぶり)
(名古屋弁)
遊びにきたニャン
かまんかニャ?(四国弁?)
私や知人の反省点は、今まで「薬」に対して無頓着であった事。
母は、3~4年前から心療内科を受診しており、当時、私も「薬」を取りに
行ったが、まさに「薬」袋が「立つ」状態であった事を覚えている。
得意の「ゴロニャン」ポーズ
恥ずかしい話し、「年寄りは、こんなものだろう。」と思い込んでいた。
病院を転々とし、今の医師から「毎週状況報告をして下さい。」と言われ、
初めて騒ぎ出す始末。
過去の医師を責めるつもりは無い。
医師とのコミュニケーションを、積極的に家族がしなければいけないと思う。
「Z、Z、Z…」
たわけ!起すなよ!!
(名古屋弁⇒関西系の、あほんだら、かな?)
あの時以来、母の通院時には毎回同席するようにしている。
2009年08月13日
薬と医師(その1)
在宅介護にて、母が腰椎を圧迫骨折後、
退院までは報告させて頂いた。
その後母に大きな変化があったので、再度報告させて頂く。
近くの「緑地公園」にて。
変化その1.圧迫骨折前→表情暗い。退院後→笑顔や笑声が多くなった。
変化その2.圧迫骨折前→室内閉じ籠り型。退院後→外出するようになる。
変化その3.圧迫骨折前→毎日血圧測定。 退院後→「めんどくさい」
変化その4.圧迫骨折前に比べ、「物忘れ」が多くなった。
「変化」の考えられる原因。⇒「薬」の副作用が軽減された。
心療内科系の薬。
圧迫骨折前は、8種類の薬を服用。
当時、「眩暈」や「ふらつき」、「不眠」、「便秘」等の症状に苦しんでいた。
それらの症状に対処するため、必然的に「薬」の種類も多くなった。
この時期、1週毎の通院。症状を医師と相談、「薬」の種類を変更して
様子を見る方法が繰り返された。
症状の改善に本人や家族も必死だったが、医師も必死であった。
症状が改善されないため、医師の選択した方法が「薬」の削減だった。
圧迫骨折直前の「薬」
8種類から3種類に変更。(精神安定剤は1種類)
この直後、腰椎を圧迫骨折し入院する。
約2週間の入院中、この「薬」を服用する事はなかったが、
反面、今までの「薬」の副作用が入院中に軽減されたらしい。
退院後、この「薬」を服用しだしてから、上記のような「変化」が
母に表れ出した。
(次回の報告に続く)
2009年07月09日
「エコうどん」
予てより、地域との交流方法を考えていた。
当会の本拠地がある、坂出市白金町此花東地区。
今回、西部地区社協と、此花東老人会のご協力を得て
本日ようやく実現し、エコうどんを食べる「お楽しみ会」を催す。
これが「エコうどん」
一見、普通の「うどん」
出汁は西部地区社協会長秘伝造り
これがまた絶品!
巷のうどん店真っ青の味!ホント
「エコうどん」の正体、「うどん」の切れ端です。
西部地区社協会長厳選の品です。
「エコうどん」を食べる。
今日は、此花東地区のお年寄り18名が参加。
普段は滅多に顔を合わせない方達との
会話も弾みます。
恥ずかしい話、私の知らない方たちが多かった。地元なのに…
「あんた、来るんが遅いわ。」
「腹すかして来たんや、うまいで。」
終了後の各会長を交えた懇談会。
西部地区社協会長、此花東老人会会長、
当会会長の3人。
当会会長はこの席で、当会の会議室を第1、
第3木曜日に、地域のお年寄りの方に開放
することを宣言。
老老介護の悩み相談や、お年寄り同士の
憩いの場として利用して欲しい、との熱い
スピーチ。
在宅福祉45年ならではの説得力がありました。
2009年06月16日
月下美人
当会長宅の庭で「月下美人」が満開!
私は知らなかったのですが、
「月下美人」は茎からではなく、
「葉っぱ」から「茎」の様な物を伸ばして咲くとのこと。
蚊に喰われながら
夜遅くまで頑張った甲斐があった。
「茎」を切り、仏壇やトイレに飾る。
ご先祖様も、今夜は芳醇な香りで眠れないかも。
今夜だけの正夢でした。
2009年06月11日
チョイと一休み
今夜は横道にそれて目の保養?を。
多連花のピンク系は迫力満点!
白は残念ながら単発
近所の飼い猫の「ミー」ちゃん
我家の庭で「毛づくろい」
そろそろ帰らないと
猫嫌いの母さんが来るよ。
家の母さんには、アニマル・セラピーは無縁だから。
2009年06月02日
転倒、そして…
トイレに行こうとして歩き出したとたん、後ろ向きに
尻餅をつくように自室で転倒した母。
悪い事に、昨年春頃に圧迫骨折した腰椎とは別
の腰椎を圧迫骨折。緊急入院と相成った。
近所の飼い猫の「ミー」ちゃん。
彼女の可愛い仕草が、
介護疲れの心を癒してくれます。
そして27日退院。
在宅生活に備え、母の部屋にナースコールを設置。
ついでに家具調の、重量感溢れるポータブルトイレも設置。
「夜間のトイレは俺に任せろ。」と言ったまでは良かったが。

庭に迷い込んだ「トンボ」君。
「ねぎ」に止まって「一休み」
その夜、臨戦態勢で臨んだが、ナースコール鳴らず。
翌朝聞いてみると、「下の世話は自分で出来る。」と言い張る。
そのくせ、ヨロヨロと歩くたびに「あ~、腰が痛い!」

母が育てた「サボテン」
白い花が満開になりました。
本人は強がっているものの、転倒前の様な歩行は困難。
母の知らない処で、トイレや風呂場の「介護補助用器具」の
設置計画が、着々?と進んでいる。
2009年05月13日
対「便秘」奮闘記
連休最後の6日、母曰く、「今日で4日間便が出てない」。
今までにも、毎日下剤を飲んでも3日、4日は便が出なかった母。
念のため「摘便」してみたが、残念ながら「お出迎え」無し。
唯一の心配は、連休に入って「血圧」が上下とも上がり出した事。
要注意の「黄色」
急変したのは8日夜。
「胃液が上がって来る」と言って、やたら唾液を出す母。
お腹を見てみると、タヌキの腹かと思うほどポンポコリン。
さすがにあわてて我が会の会長に対処法を聞く。
会長と二人で「蒸しタオル」で腹部を暖め、マッサージ。
家庭用浣腸を行うも効果なし。
翌9日、行きつけの「胃腸内科」へ車で運び込む。
早々にレントゲン撮影。
「腸閉塞」は免れたものの、腸内には団子状の便が点在していた。
異常事態の「赤」
近くに住む叔母も心配して駆けつけて来る。
病院で浣腸するも、硬い小さな団子便が出ただけ。
頂いた下剤もこの後2日間効果なし。
回復の兆しが見えたのは11日の通院日。
この日は家から300メートルの距離を徒歩で行く。
これが効いたのか、病院での浣腸で卵大の硬便が、ともかくも出る。
新たに頂いた液状の下剤を飲み、この夜更に排便あり。
ひとまず安心の「青」
(本当は「紫」ですが)
そして今日12日、母がうれしそうな顔で「今朝、少し軟らかい便が出た」との報告。
朝食後、更にバナナ状の便が出たとの事。
「血圧」も上下とも落ち着く。
今回の「便秘」の確かな原因は不明だが、医師からは運動不足を指摘された。
水分不足や食事量チェックの知識はあったが、運動量は重要視していなかった。
「目眩」や「ふらつき」に注意力が行き、日課の長距離散歩も車椅子を多用。
歩く距離は全工程の1/10もなかっただろう。
母には酷かもしれないが、少なくとも自立が可能な在宅介護には、「鬼」になる事も必要なのかもしれない。
2009年04月22日
朝露と消えた乙女に合掌
今朝のニュースを見て、驚いた方は多いだろう。
私にとって同世代と言っていい、元アイドル歌手の死。
その死の原因が「母親の介護疲れ」であれば、
在宅介護に係わる者として、あまりにも悲しくてつらい。
共演された男優の悲痛な叫びは、我々も同じであろう。
在宅介護をされている方に教えてあげて欲しい。
被介護者の「気」に飲まれるな。押し戻せ。
飲まれそうになったら、躊躇せずに外部に「SOS]を。
公的機関でもいい、教会でもいい、ボランティアでもいい。
大切な事は、それを「恥」と思わない事。
今日1日、収支決算報告書を作成しながら切なかった。
なぜか当時流行った、「五つの赤い風船」が歌った
「遠い世界に」の曲が、まるで鎮魂歌のように頭に響く。
「合 掌」
2009年04月07日
ゲートコントロール効果?
今の今まで、車椅子を嫌っていた母。
今日はお日柄も良く、桜も満開。
「福祉プラザ」で借りた車椅子で、いざ鎌田池へ。
鎌田池より角山を見る。
土手沿いの「桜」が満開。
伯父の家に車を置いて、伯父夫婦と合流。
家から公園まで車椅子。
真ん中が母。
滅多に見られない「笑顔」です。
この後、歩いて展望台へ!
最近、目眩が酷く、歩く事に恐怖さえあった母です。
奇跡?は更に続き、帰途は自ら「徒歩で」を宣言。
車までの約500メートルを、普段の2倍程の速さ
で歩きました。
さすがに疲れたのか、今は部屋でグッスリと寝ています。
いつもの様に、夜中に目が覚めなければ良いのですが。
2009年04月04日
家庭介護との闘い
今晩は。今夜は徒然なるままに。
早いもので、今年も「アット」言うまに「春」。
「春」と言えば「桜」
我家の近くの山の桜もこの通り。
今年80歳になる、母の介護疲れを癒そうと「角山」に登山。
昨年、紅葉の季節に市内の老健施設を退社。母の介護に専念。
要支援2ながらフラツキと目眩に悩まされ、ツンボ同然の耳。
昭和1桁生まれ特有の「頑固者」。
人様のお年寄りの介護は、施設でこなしてきたけど、
自分の親となると、どうしても感情が先にたつ。
こんな悩みを、長年住み慣れた名古屋の知人に告げた。
翌々日、速達で名古屋の新聞記事が送られてきた。
職を辞めて、在宅介護につく独身男性に関する記事だった。
「桜」に負けじと頑張る「梅」
遠方は「さぬき冨士」
地方では未だ表面化されていないが、都市部では近年増加している
独身男性の「家庭介護」。
行政もほっとけず、都市部では支援活動も行われているとのこと。
この故郷で「家庭介護」に従事されている、独身男性は何人いている
のだろうか?
「家庭介護」でのストレスは、自分が予想していたよりも酷く、
名古屋の知人のアドバイスを受け入れ、今年2月から再び
昨年辞めた老健施設で、休日の「夜勤」専属で勤務しだした。
知人も母親の介護で疲れ果て、自分の時間を持つ事で
難局を乗り切ったとのこと。
我家の庭で「孤独」に耐える「土筆」
2009年01月26日
まとめて活動報告を。
サボった分、昨年の活動も含めて報告。
1.昨年10月26日(日)
西部小学校体育館での「福祉の集い」に参加。
「車椅子」の自走体験指導。
当日はあいにくの雨天。
館内での指導となりました。
このため、盛り上がりも今ひとつ。
他のボランティアグループが行った、
「AED」を使っての心肺蘇生法に挑戦。
これ結構、力と持続力が必要です。
2.昨年11月 2日(日)
市内の特別養護老人ホームでのバザー応援。
他のボランティアの方達と一緒に、
「いなり寿司」を調理しました。
テキパキと女性陣がこなしています。
男性陣はオタオタ。自然と外野へ。
そして迎えた2009年!
わが会のメンバーも「高齢化」という宿命を背負っています。
今年は我会の「若返り活動」が、切実なテーマとなります。
ほかのボランティアグループとの交流や、情報交換も
必要となるでしょう。


2008年04月07日
介護疲れのオアシス
心のうちを開いて語り合い、ストレス解消を試みませんか?
当会では、在宅介護などで疲れたり、この先どうなるのか等の
悩みを抱えて、1人で苦しんでいる方に少しでもお役に立てばと、
ストレス解消の場を考えてみることにしました。ご希望の方は
お気軽にお出で下さい。プライバシーは厳守いたします。
開場日時:毎週月曜日午前10時~12時
毎週木曜日午後1時から3時
場 所:NPO法人 坂出在宅福祉研究協会会議室
住 所:坂出市白金町3丁目1-5
申込要領:事前に下記の電話か、ファックスにて予約申込をお願いします。
問合せ先:電話46-6312 ファックス46-6312
費 用:無 料
2008年01月20日
当NPOの紹介
主に坂出市内の「独居老人」を対象とした、介護保険外の「身体介護」や「生活介護」
を行っていましたが、「この活動を半永久的に残したい」との思いからNPO化しました。
写真最前列の男性は登録会員外の方ですが、
「ハート&あり」の会から活動に共感を持たれ、
NPO化を提唱され、積極的に行動をされた、
当NPOの「影のご老公様」です。
※ちなみに、私は貴重(?)な黒2点の1人、「山本」です。
このブログ立ち上げや、活動報告書作成など
PCを使用した業務を受け持っています。
これからも、少しずつ現場の声を届けたいと考えています。
